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高階時子
「礫」に所属。
折々に心に残った短歌を紹介していきたいと思います。
時々、見ていただければ幸いです。
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リンゴ

2012/01/27 21:07
どのあたりまでの一生(ひとよ)かはち切れむばかりの冬の林檎割りたり

               雨宮雅子 『熱月』 (1993)

寒い冬の季節、さくっと歯ごたえのあるリンゴがおいしい。
いろんな種類が出回っているが、酸味が適度にある「ふじ」が一番好きだ。

作者はリンゴを切りながら、今、自分は一生のうちのどのあたりまで生きてきたのだろうかなどと、ふと思った。
紅色の球体であるリンゴは、今、まさにみずみずしく充ち足りた実りの時を迎えている。
三句からの「はち切れむばかりの冬の林檎割りたり」には、自分はもう、このリンゴのような若さに充ち溢れた時は終わったのだという思いが潜んでいるだろう。
その思いと同時に、リンゴを割り食べることで、若くはない自分を励まそうとしている。

同じ時期に出回るミカン、炬燵にあたりながら食べるのが似合いそうなミカンと異なり、リンゴは冷たく澄んだイメージと結びつく。
紅色は暖かいのだが、リンゴとなると、青春、若さの象徴のようで、しかもアダムとイヴの物語、禁断の木の実をも思い浮かべてしまう。

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2012/01/21 23:49
はばたけるやうに来たりし白きものいづ方からの音信か 雪

雨宮雅子 『昼顔の譜』 (2002)

雪や氷の研究で有名な中谷宇吉郎博士の「雪は天からの手紙である」はよく知られているが、掲出歌も雪を「便り、音信」と捉えた美しい一首である。

上句の美しい比喩「はばたけるやうに来たりし白きもの」 ---  降り始めたばかりの、まだ軽くて舞っているかのような雪だ。しんしんと降り積もる前の、もっとも美しい状態の雪だ。
結句で「音信か 雪」と、一字空け、体言止めにして、「雪」をクローズアップする。
この一首を繰り返し読んでいると、平かなと漢字が実に巧く調和しているのがわかる。
一語の名詞として使われている漢字は「音信」と「雪」の二語のみで、あとは「来たりし」「白き」「いづ方」に使われているが、画数の少ない漢字であり、全体にやわらかいリズムが雪の清らかさと溶け合って、心地よく響く。

私の住んでいる地では、この冬はうっすらと雪が積もった朝が一日あっただけで、それもすぐに溶けてしまった。
雪の多い地で暮らす人々にとっては、積雪は生活を脅かす恐ろしい自然現象でもあるわけだが、ちらちらと舞い降りる薄い花びらのような雪は美しい。
そして、雪はあたり一面を白一色で覆い尽くし、すべてのものを清めてくれるかのようだ。


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受話器

2012/01/17 23:58
月光は受話器をつたひはじめたり越前岬の水仙匂ふ

                葛原妙子 『をがたま』 (1987)
                             
我が家の庭にニホンスイセンが咲いている。
ニホンスイセンは12月〜2月頃の最も寒い時期に小さなラッパ状の花をつける。
そして、いい香りがする。
暖かくなる頃に咲くラッパスイセンよりも厳寒期に咲くニホンスイセンが好きだ。
ニホンスイセンと言えば、兵庫県淡路島、福井県越前岬の水仙郷がよく知られている。

掲出歌では受話器を耳にあてながら、その受話器から月光が伝わってくるのを感じているのだろうか?
下句「越前岬の水仙匂ふ」から、電話で話をしている相手は福井県に住む人だろうか?
その遠い地にある受話器から自分の持っている受話器まで、声と共に月光が流れてくるような気がしたのだろうか?
実際に福井県に住む人と電話で話をしたことから、この一首の想を得たのかどうかは別にして、月の明るい夜、黒い受話器に月光が流れているのを作者は確かに感じたのだ。
そして、月光と共にニホンスイセンの香りも受話器を伝わってくるのである。
読者の目には月光に照らされたニホンスイセンの群落が眼前に広がり始める。
月光にも色があり、ニホンスイセンの花の色と同じような感じがしてくる。

日常に見慣れた事物やありふれた事柄を捉えて提示し、読者に「そうそう、そんなんだよな」と気づかせてくれる歌もおもしろいが、この作者はあり得ないこと、見ることができないようなことを創出してくれる。
だから一首の意味もわかったような、わからないような・・・・場合が多いが、豊かで不可思議なイメージが浮かんでくる。何度も読んでみたくなる。
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美容院

2012/01/10 23:12
ロメオ理髪店二階はジュリエット美容室露台にタオル旗めかせつつ 

          矢後千恵子 『駅長』

「ロミオ(ロメオ)とジュリエット』といえば、かの有名なウィリアム・シェイクスピアの戯曲だ。
抗争を繰り返しているモンタギュー家の一人息子ロミオと、キャピュレット家の一人娘ジュリエットの悲恋の物語である。
若い頃に、オリビア・ハッセーがジュリエットを演じた映画を見たことがある。

掲出歌では、夫婦で理髪店と美容院の店を開いているのだろうか?
1階は理髪店で名前は「ロメオ」、2階はその妻が経営している美容院で、「ジュリエット」だなんて、ほんとうにこんな店があったら楽しいだろうな。
理髪店も美容院も真っ白なタオルをたくさん使うから、外にはいつもタオルが干してある。
「ロメオ」と「ジュリエット」というネーミングの楽しさと、白いタオルの翻る店先、ここにはユーモアと健康な暮らしの輝きがある。

私が3カ月に一度通っている美容院も2階建ての建物の2階にあり、1階は理髪店で、夫婦でそれぞれの店を経営している。
美容院の名前は「ジュリエット」ではないけれど、1階と2階の両方の店から清潔そうないい香りが漂ってきて、階段を昇りながらなにかしら暖かい気持ちになってくる。もちろん白いタオルもたくさん干してある。
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2012/01/05 22:36
やはらかき軀幹をせむるいくすぢの紐ありてこの晴着のをとめ

               上田三四二 『遊行』 (1983)

最近はお正月に晴着を着ている女性をほとんど見かけなくなった。
成人式ではスーツよりも振りそでを着る女性の方が多いようだが。

掲出歌は「街と娘」と小題のついた一連の中の一首。
作者は晴着を着ている女性(若い女性)の体をまるで透視しているかのように、体に締めている紐まで見えるのだろう。
もちろん晴着の下の裸体そのものも。

着物と紐といえば、杉田久女のよく知られた句を思いだす。 

  ・花衣脱ぐやまつはる紐いろいろ

他にも街で出会った若い女性を詠んだ歌がある。
 ・毛皮着てその髪多(さは)につやめけるをみならはいたくけだものくさし
 ・やはらかき若きからだを寄せてゐし行きずりびとは保谷(ほうや)に降りぬ

以前にも、作者のゆきずりの若い女性を詠んだ作品を紹介したが、実はもっと直截に女性の肉体を眺めまわして細やかに詠んだ作品群が『遊行』には多く収録されている。
その名も「身体の領域」と題した一連18首は、若い女性の肉体(裸体)そのものを目の前にして詠んだとしか思えないような官能的な描写が続く。

 ・疾風を押しくるあゆみスカートを濡れたっる布のごとくにまとふ
 ・正座してくるしきばかり肉あつき膝ありおもて伏せたき膝が
 ・膝いだき背ぐくまるときつぶされてつぶされがたき乳か溢れぬ
 ・かきあげてあまれる髪をまく腕(かひな)腋窩の闇をけぶらせながら
 ・輪郭があいまいとなりあぶら身の溶けゆくものを女とぞいふ

『遊行』に収録されている作品のほとんどは、四季折々の植物や自然詠、旅の歌であるので、その中に女性の肉体を集中的に詠んだ歌群が出現すると、そこだけが異様な光を放っているように感じられる。
女性の私から見ると違和感というか、いかにも男性の目線で捉えた女性の肉体という感じがするが、作者は若い女性の肉体への憧憬・執着をどうしてこれほど生々しく細やかに描いたのだろうか?

秋元千恵子氏は三四二のこれらの歌をその著『含羞の人:上田三四二の生涯』で詳しく考察している。
「支えとして常に身近に茂吉を見てきた三四二にとって、この時期の歌い残すべき主題は、リビドー(性欲)にあった。『遊行』から点描した能動的な作品は、こうした三四二が積極的に目覚めさせた創造のエネルギーとしての”視姦”の恩恵である。この三四二の”視姦”を喩えれば、大作をもくろむ画家の、五官を磨いた鋭い眼付きであり、点描した作の一首は、色彩を添え、いのちを与えた素描の一枚、ということが出来る」
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誤植

2011/12/24 22:22
誤植ひとつ見いではかなくゐるゆふべわれみづからの本をとざしぬ

     上田三四二 『遊行』 (1982)

原稿を書き、何度も注意深く校正をして、もうこれで誤植はないだろうと思い、それが刷り上がった時の喜びと緊張。
できたてほやほやの本のページを繰ってみる。
ああっ、誤植があった。
あれほど念入りに調べたのに、校正の時にどうして見つけることができなかったのか。
刷り上がって世に出たばかりの自著に誤植を見つけた時の驚き、落胆、後悔、絶望感が伝わってくる。
作者は誤植を見つけ、思わずその本を閉じてしまった。

短歌には、「かなし」「かなし」「さびし」「はかなし」という形容詞や「あはれ」がよく似合う。
これらの言葉には魔力のようなものがあり、読者は(あるいは作者自身も)その場の雰囲気に酔ってしまう。
だからこそ、心して使わねばならないと思う。
斉藤茂吉の歌にも「あはれ」や「さびし」が、まるで「はやしことば」とでも言いたいぐらいに頻繁に使われているが、それがまた巧く収まり、一首の陰影を濃くしている。

 ・あはれあはれここは肥前の長崎か唐寺の甍にふる寒き雨 (斎藤茂吉『あらたま』)
 ・ゆふされば大根の葉にふる時雨 いたく寂しく 降りにけるかも

作者もしばしば「さびし」「かなし」「はかなし」を使う。
では、掲出歌で使われている「はかなく」はどうだろうか?
ここでは「はかなくゐる」としてしまうことによって、誤植を見つけた時の臍をかむ思いが少し弱まりはしないだろうか?

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2011/12/19 23:20
うず巻の生れてほどける水のさま飽かずに立てば人の寄りくる  

                岡部桂一郎 『一点鐘』 (2002)

街川に水が渦巻きながら流れている。
次々と渦を巻き、その渦がほどけて流れていく情景を立ち止まって眺めていると、何かおもしろいことでもあるのかと道行く人が、一人二人と傍にやってきて、同じ方向を見ている。
自分はただ水が渦巻き、流れるのを見ているだけなのに。
ちょっと人を食ったような歌、というか、滑稽、いやいや恐ろしい歌かもしれない。

平穏な日常をありがたく思いながらも、人は変化のない日常を破る異変をひそかに望んでいるのかもしれない。
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ティベッツ

2011/12/14 23:28
ばちあたりのティベッツもつひに昇天しはだか欅のあさぞらに美(は)し
島田修三 『蓬歳断想録』 (2010)

「ティベッツ」は「ウィキペディア」には、次のように記されている。
「ポール・ウォーフィールド・ティベッツ・ジュニア(Paul Warfield Tibbets, Jr。
1915年2月23日 - 2007年11月1日。
第二次世界大戦期のアメリカ陸軍航空隊で最も有名なパイロットの一人である。
1945年8月6日、広島市に原子爆弾「リトルボーイ」を投下したB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」の機長であり、アメリカ合衆国では戦争を終わらせた英雄として扱われている」。

世界で最初の原爆投下による被爆国となった日本にとっては「ティベッツ」は忘れられない名前である。
とは言うものの、「ティベッツ」の名は「リトルボーイ」や「エノラ・ゲイ」ほどは知られていないように思う。

「リトルボーイ」は広島に投下された原子爆弾のコードネームだそうだが、よくまあ「おちびちゃん」という、かわいい、それゆえに恐ろしい名前を付けてくれたものだ。

掲出歌ではいきなり、「ティベッツ」に「ばちあたり」を被せたところに作者の面目躍如。
それに加えて「つひに昇天し」と続く。
「つひに」も「ばちあたり」同様に強烈パンチを喰らわしたようなものだ。

作者はティベッツ死去の報を受けて、「原爆投下から62年、奴もとうとうくたばったか。92歳、けっこう長生きしたもんだ」などと思いながら、ケヤキの裸木を眺めている。
澄んだ寒空に聳え立つケヤキの裸木は簡素で美しい。
一首の意味としてはそんな感じになるだろう。
偽悪ぶった表現の中に原爆投下の罪を問うている、というのは深読みだろうか?

手練れな作者はティベッツの「死去」を「昇天」ということばで表している。
「昇天」から思い浮かべるのは「キリスト昇天」であり、「ティベッツ」の名と組み合わせて、いささかの惻隠の情をひそませているのだろうか。

「ティベッツ」死去の翌日(2007年11月2日)の朝日新聞記事を調べてみると次の署名記事があった。
 【ニューヨーク=真鍋弘樹】
「広島に1945年8月、世界初の原爆を投下したB29爆撃機「エノラ・ゲイ」の機長だったポール・ティベッツ氏が1日朝、米オハイオ州コロンバスの自宅で老衰のため死去した。92歳だった。友人で元代理人のジェリー・ニューハウス氏が朝日新聞の取材に語った。
 同氏によると、ティベッツ氏は心臓の持病に苦しみ、2カ月前から衰弱していた。原爆投下に批判的な人々の抗議を恐れて葬儀や墓を希望せず、遺灰を海にまいて欲しいと言い残したという。
 ティベッツ氏はイリノイ州クインシーに生まれ、37年陸軍航空隊に入った。原爆開発のマンハッタン計画にかかわり、母の名から爆撃機にエノラ・ゲイと名付けた。
 同氏は生前、原爆投下の正当性を疑っておらず、「投下は戦争を終結させるためだった」「(投下された原爆は)大きな戦争を抑止してきた」と朝日新聞の取材に語っていた。
 同氏は45年8月6日未明、エノラ・ゲイの機長としてマリアナ諸島のテニアン島を離陸し、広島に同日午前8時15分、史上初めて原爆「リトル・ボーイ」を投下した」。
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ケヤキ

2011/12/06 22:49
秋もなか空に漂う欅落葉は言葉のごとく人にとびつく
       
              岡部桂一郎 『戸塚閑吟集』 (1988)

落ち葉の季節だ。
ケヤキは30mを越えることもあるという高木の落葉樹。
掲出歌はケヤキの落葉する情景を詠んでいるのだが、一読、奇妙な感じを受ける。
下句「言葉のごとく人にとびつく」の比喩のせいだ。
落ち葉が言葉のように人にとびつくとはどういうことなのか?
作者はいったい何を詠もうとしているのか? 

ケヤキの高い枝から離れた葉が、空中を舞いながら降りてくる。
そのいくつかが人の体に触れることもあるだろう。
実際、軽い軽い一枚の落ち葉が、体に触れようが痛くもかゆくもない。
落ち葉が自分の肩先などに舞い降りて、まるでやさしく語りかけられているようだ、というならわかる。
ところが、ここではやさしいどころか、「とびつく」のだ。
落ち葉に強い意志があるかのように、人に飛びついてくるのだと?
キーワードになるのは「言葉」だ。
言葉の力を良くも悪くも信じているからこそ成った歌だと思う。

同じ歌集に次の一首がある。

 ・とめどなく木の葉散りきていちまいの木の葉顔打つときの呻吟
落ち葉に顔を打たれて呻吟するという。
掲出歌と落葉の場面設定が似ている。そして、一枚の落ち葉に強い力を感じていることも。
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イチョウ

2011/11/30 23:56
金色(こんじき)のちひさき鳥という比喩を踏みつけて歩(ゆ)く銀杏並木路

                宮原望子 『これやこの』 (1996)

掲出歌は、もちろん与謝野晶子のよく知られた次の歌を踏まえて詠まれている。

 ・金色(こんじき)のちひさき鳥のかたちして銀杏(いてふ)散るなり夕日の岡に

中学校だったか? 国語の教科書に与謝野晶子のこの歌が載っており、読んだ途端に鮮やかな金色が眼前に広がり、自然と覚えてしまった。
ボリュームのある大木ならなおさらのこと、イチョウの黄葉が散るさまは、まさに金色の小鳥が飛び交っているようで、実に美しい。
その黄葉に夕日が差しているとなれば、金色はいっそう輝いているだろう。

イチョウはカエデなどに比べると早く色づき、散る時期も早いようだ。
すっくと伸びたイチョウの大木の黄葉の華やかさ、その黄葉が散り始め、やがて木下に散り積り、裸木となる。
芽吹き、緑葉、黄葉、落葉、裸木、いずれの季も美しいが、黄葉の満ち渡った盛りが崩れ始める頃が最も華やぎ、美しい時だと思う。
木にはまだ多くの黄葉が残っているのだが、黄葉の盛りは過ぎて落葉が始まっているという状態である。

掲出歌はイチョウの並木道をその落ち葉を踏みながら歩いている。
今、自分が踏んでいるのは、かの有名な晶子の詠んだ「金色のちひさき鳥のかたち」をしたイチョウの黄葉だ。
作者はあえて「踏みつけて歩く」としているのは、晶子の歌に潜む浪漫的なものを拒み、美しい落ち葉を踏むことに快感を覚えているのだろうか?
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硝子屋

2011/11/25 23:21
硝子屋に立てかけてある硝子板厚みが緑(あを)く道から見ゆる

河野裕子 『蝉声』 (2011)

掲出歌は、「百歳の猫、ムー」と題した、飼い猫を詠んだ一連7首の最後に置かれている。

掲出歌の他には

 ・一匹も子猫を産まずにぼんやりと門外不出のままに百歳
 ・ぼんやりのアホな猫なれど機嫌よし注射打たれてもムーと返事す

飼い猫を詠んだ一連は他にもあるが、そこでは病んだ猫と、同じく病み臥している自分に重点が置かれており、哀しみが滲み出ている。
ほとんどの歌が病にかかわる中で、「百歳の猫、ムー」一連にはほっこりとあたたかい日差しが差しているようだ。

作者が硝子屋の前を通りかかったのは病院に行く途中だったかもしれない。
硝子板が立てかけられて、その厚みが緑色に光っていることに気づいた。、
上句「硝子屋に立てかけてある硝子板」には、元気に働いている人たちへの憧れが潜んでいるのではないだろうか。
とりたてて優れた歌ではないかもしれないが、なにげない情景を詠んでおり、心に残る一首だ。

この一首から、上田三四二の次の一首を思い浮かべた。

 ・人をらぬ畳屋はこよひさしかけの畳に老眼鏡置かれたり 『湧井』
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ラッキョウ

2011/11/19 21:39
らつきようがふいに食ひたしハチマキして走りをりたる夢よりさめぬ

              河野裕子 『蝉声』 (2011)

遺歌集となった『蝉声』には、病のためベッドで臥す時間が多くなり、しだいに食べることも動くこともできなくなって、刻々と死に近づいていく様子が、率直に細やかに詠まれている。

自分もいつかこのような時を迎える日があるだろう。
読んでいるうちに涙がこぼれそうになる。
作者は夫や娘に口述筆記をしてもらい、最期の最期まで短歌を作り続けた。
最期まで短歌を紡ぎ出すことに執念を燃やしたのは、歌人としての矜持、作家魂とも言えるだろうか。
そしてまた、小説や詩、俳句ではなく、短歌型式を選んだ歌人であったことも大きな要因だろう。

歌集『蝉声』には、食べるという根源的な欲求が失われていく哀しみを詠んだ歌が多くある。
掲出歌はその中の一首だ。
作者はラッキョウが大好物で、たぶん自分でもラッキョウ漬けを作っていたにちがいない。
病魔に襲われると、食欲がなくなり、やがて固形物が食べられなくなる。
そして流動食となり、しまいには点滴で命を繋ぐことになる。

好きだったラッキョウをふいに食べたいと思う。 
同じ一連に次の一首もある。
 
 ・砂丘産小粒らつきようの歯ざはりをしばらく思ひ長く瞑目

好きだったラッキョウの歯触り、匂いが甦る。
体力が衰え、もう二度と食べることはないであろう食べ物のあれこれが思われる。
赤や白のハチマキをして運動会で走った時のことを夢に見たのだろうか。
死などを考えることすらなく、ひたすら走った遠い日の運動会。

上句「らつきやうがふいに食ひたし」と、下句「ハチマキして走りたる夢よりさめぬ」の必然性のない連結、アンバランスの面白さは、この歌集においては深い悲しみへと収斂されていくようだ。

その他にも多く収録されている飲食の歌を挙げておこう。

 ・なーんにも食べたくなけれどお粥炊き梅天神さまと唱へつつ啜る

 ・飲食(おんじき)のよろこびもなく臥(こや)る身は汗も出でざりただに平たく

 ・俯きてスープ啜りつつ涙落つ固形物食へなくなりて三月(みつき)は経たり

 ・もの食へず苦しむわれの傍にゐてパンを食べゐる夫あはれなり

 ・食へざる苦、誰にもわからねば歯をみがき眠るほかなし 眠る

 ・食欲ももはや戻らぬ身となれど桶いつぱいの赤飯を炊く

 ・三人をおいて死ぬわけにはいかざると一粒のぶだうをやつとのみこむ

 ・あたたかなコップにぎりて茶をのめり病院の番茶ひと口ふた口

 ・なぜあんなにおいしかつたのだらうどの瓜も熟れて甘やかな瓜の匂ひして

 ・おもゆおかゆスープ混合三食の流動食をやつと半分

 ・飲まず食はずのこのひと月(つき)を生かしくれし950ccの点滴をたのみとなして

 ・一本のアイスキャンディをやつと食む月にやあと言ひ眠らむっとせり

 ・もう一度厨に立ちたし色とはぎれよき茄子の辛子あへを作りたし

 ・持久戦にもちてゆくより他になしミルク半分をめつむりてのむ

 ・枕辺にいのち養ふスープがおかれたりおもゆのみえずスープを少々

 ・食ふことはなぜかかなしい肘つきておいしいねと言ひ食ひたることも

 ・一日に食ひたるものは桃一個スイカひときれ牛乳一杯慎ましきかな

 ・白桃のもはや一個も食ひえざり赤く色移れるがいつまでもあり

 ・断食が今の症状にはよきゆゑに氷ひとかけを音たててかむ
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ご飯

2011/11/03 22:08
大事なのはお母さんでゐること山茶花(さざんくわ)よご飯を作りお帰りと言ふ        

                    河野裕子 『蝉声』 (2011)

作者は私よりも数歳ほど上であり、若い頃から作者の相聞歌や子育ての歌などにも親しんできた。
と言っても、第1歌集『森のやうに獣のやうに』から順に第2歌集『ひるがほ』、第3歌集『桜森』、第4歌集『はやりを』、第5歌集『紅』までは読んでいるが、その間がすっぽり抜けて、今、第15歌集にあたる遺歌集『蝉声』を読んでいる。 (時々は短歌総合誌で作品を読んだりはしていたが)。

作者は昨年年8月に64歳で病没。
それ以来、短歌総合誌の追悼特集をはじめ、『家族の歌』、『京都うた紀行』、『たつたこれだけの家族』、『たとえば君 四十年の恋歌』など、多くの関連図書が刊行された。
夫の永田和宏氏が選者をしている朝日歌壇では作者の死を惜しむ歌が多数寄せられた。
また、NHK・ETV特集「この世の息 : 歌人夫婦・40年の相聞歌」と題したドキュメンタリーも放映された。

購読している新潮社のPR誌『波』にも永田氏が「河野裕子と私 : 歌と闘病の十年」を連載中である。
乳癌の手術後、精神的に不安定になり、夫を罵倒したりして荒れる作者との極限状況が赤裸々に綴られている。
作者が暴言を吐いたりして荒れるのは、甘えられる相手がいるからである。
最後まで甘えられる夫や子どもたちがおり、家族に見守られていたからこそできたことである。

作者は妻として母として歌人として充実した生を生き抜き、早逝した。
早逝したがゆえに老醜をさらすことなく、惜しまれ、短歌史上に遺した輝かしい足跡はこれからも語り継がれるだろう。
早すぎる死だが、私にはとても幸福な一生のように思えて、まぶしいぐらいだ。

掲出歌からは、よく知られた次の歌も想起されよう。

 ・しっかりと飯を食はせて陽にあてしふとんにくるみて寝かす仕合せ   『紅』

フルタイムで働いていた私は家族にご飯を食べさせるだけが精一杯で、お帰りも言ってやれず、暖かい布団にも寝かせてやれなかったので、こういう歌を読むとちょっと複雑な気持ちになる。
作者は家庭を守り、子どもを育て、活躍する夫を支えることを第一の喜びとした。
その立ち位置を決して崩すことはなかった。
そして、そのことを臆面もなく表現した。
掲出歌はその典型ともいえる歌であり、潔く、正直な歌である。
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ヒグラシ

2011/10/29 23:58
暗がりを燭もてひとり歩むがに身をかがめ聞くひとつかなかな


                 河野裕子 『蝉声』 (2011)

河野裕子の遺歌集『蝉声』を少しずつ書き写している。

自らの命終を悟り、夫や子どもたちを残して逝かねばならない無念、哀しみがひたひたと押し寄せてきて粛然とした。

河野裕子と蝉声と言えば、次の一首を思い浮かべる。
 ・しんしんとひとすぢ続く蝉のこゑ産みたる後の薄明に聴こゆ 『ひるがほ』
薄明に鳴くのはヒグラシだろう。初めての出産の時の歌だ。

この歌集のあとがきで、夫の永田和宏氏が上記「しんしんと」の歌を挙げて、「病んでふせっている河野の耳に届く八月の蝉の声は、この歌集でも繰り返し歌われているが、それはまた、初めての出産のときの歌に遠く呼応しているだろうか。河野自身も、自らの耳に届く蝉声を強く意識していたに違いない」と書いている。
また、息子の永田淳氏の提案で、この歌集のタイトルが「蝉声」に決まったという。
私も「蝉声」は、作者の最終歌集にふさわしいと思う。
よいタイトルだ。

掲出歌の上句「暗がりを燭もてひとり歩むがに」は、構造上からは下句を修飾しているのだが、この比喩は、この世から去っていく畏れ、哀しさ、深い孤独を表している。

「ひとつかなかな」から、第一歌集『森のやうに獣のやうに』の中の一首も思い出される。
 ・産み終へし母が内耳の奥ふかく鳴き澄みをりしひとつかなかな
 
子どもを授かり産むことも、生まれることも、死ぬことも、いずれも自分の意志ではどうしようもないことであり、生物の自然の姿である。
それゆえに薄明に聞こえるヒグラシの声がいっそう身に沁みるのだ。


『蝉声』には蝉の声を詠んだ歌が多く収録されている。

 ・こゑそろへわれをいづくにつれゆくか蝉しんしんと夕くらみゆく

 ・痛みどめが効きゐる身はこのままに眠りに入りゆく蝉声の中

 ・残しゆく者残さるる者かなしみは等量ならねど共に蝉きく

 ・一日中眠りてをれり目覚めれば蝉声(せんせい)も娘(こ)も影のやうなり

 ・遠ざかりまが近づける蝉のこゑ寡黙なる娘(こ)が枕元にをり
 
・めざめては今日とぞ思ふ九時半の朝のひかりに寄せくるひぐらし
 
・何でかう蝉はしづかに遠く鳴くものかされど夕蝉ふいに近づく
 
・夫はもう東京に向かひ発つといふ蝉声(せんせい)の中にわれは覚めつつ
 
・一日中眠りてゐるばかりなり目覚めれば必ず蝉が鳴きゐる
 
・子を産みしかのあかときに聞きし蝉いのち終る日にたちかへりこむ
 
・すざりゆく蝉声の中にへまなやつ二つ三つゐる落ちながら鳴く
 
・この世のものならずただ澄みてあかるき暗がりにひぐらしがなく
 
・目がまはりたちまち吐きてしまふ身をかなしみ寝かす蝉声に溺るるごとく
 
・雨?と問へば蝉声(せんせい)よと紅は立ちて言ふ ひるがほの花
 
・やはり蝉声(せんせい)よとわれはおもふ湿りて咲きゐるひるがほの花
 
・看護師らの動き繁くなりゆくを聞きて臥すのみ蝉の鳴くこゑ
 
・身動きのひとつもできぬ身となりて明けの蝉声夕べかと問ふ
 
・洗濯機の終了ブザーが鳴るまでにまだ少しあり夕蝉のこゑ
 
・八月に私は死ぬのか朝夕のわかちもわかぬ蝉の声降る
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老いの歌

2011/10/23 13:30
よるべなき心細さよ電話してみようか。いないな乞ふな求むるな


              宮 英子 『西域更紗』 (2004)

小高賢『老いの歌 : 新しく生きる時間へ』(岩波書店, 2011)を読んだ。
掲出歌はその中で引用されていた一首。

作者は宮柊二の夫人で、大正6年生まれ、現在、94歳。

きょう一日、誰とも話すことなく過ぎてしまった。
子どもや友人に電話でもして声を聞きたいな。誰かと話したいな。
いやいや、止めておこう。
電話をしたところで寂しさが消えてなくなるわけでもなし、誰かに何かを求めるのはよそう。
たとえ子どもであっても頼ってはいけない。

老いの一人暮らしの心細さが伝わってくる。
けれども、「いないな乞ふな求むるな」に、寂しさと同時にかすかなユーモアが滲む。
老いの心意気とでも言おうか、しなやかな強さがある。
「よるべなき・心細さよ・電話して・みようかいないな・乞ふな求むるな」と、三・四句が句跨りになっている。

作者には他にも次のような老いを詠んだ歌がある。
・わが世畢(をは)んぬふたたびみたび思へれど覚悟など無し依然有耶無耶
・寒ければ早う寝ようと言ふひとなし雪降るならむ夜半二時すぎ
・階段の昇りは膝に障(さや)りなし「ワタシクダラナイヒト」降(くだ)り難儀す
・寿司ひとつ摘(つま)みて和酒(ささ)をふふめども詰まらないなあ。平成十八年冬
・みづからを叱りつけたり、もう言ふな、八十歳が何だといふの

いずれにも、掲出歌と同じようにどこか滑稽で、老いを達観したような味がある。

小高氏は有名歌人や無名の人たちのさまざまな老いの歌を挙げながら、斎藤史の勁さに対して、作者の歌を「柔」の歌だとしている。
「もちろん、年齢はつよく意識されている。ただ、突っ張っていない。自然に受け止めている。と同時に、女性性も拒否してない。そこにかわいらしさが生まれる。おそらく、年齢がこういう境地をもたらしたのであろう」。

そして、小高氏は短歌という詩型で老いの歌が多く作られている現状を次のように述べている。
「馬場、岡井という短歌界の稜線に位置する歌人から、特養(特別養護老人ホーム)や老健といった老人施設で指を折りながら、短歌をつくっている裾野の人々まで、すべてみな年齢を重ねていく。そういった稀にみる超高齢化社会のなかで生まれるさまざまな思い、気分、身体状況、意見、怒り、苦しみなどが、短歌という詩型をバネにして日々膨大に紡ぎだされている事実は、一見、何でもないようだが、驚くべきことなのではないだろうか。
「私」を中心に据える短歌であるからこそ、それが可能なのである。他の文学・芸術のなし得ない側面と思える。短歌という伝統的詩型においても、いままで想定していなかった機能かもしれない」。

短歌を作る高齢者がますます増えることは、長く続いてきた短歌という詩型を持ち得た我々の幸福と言えるだろう。


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ショパン

2011/10/17 22:59
ショパン命日十月十七日雨降れりぱらぽろろろんしとしとろろん


                宮 英子 『やがての秋』 (2007)

ショパン (Fryderyk Franciszek (Frdric Franois) Chopin)
(1810―1849)
「ピアノ音楽に比類ない境地を開いたポーランド出身の作曲家、ピアニスト。
主要な作品のほとんどがピアノ曲で、その個性的で斬新(ざんしん)な書法はリリシズムを基調に、雄々しさ、気品、メランコリーなど多彩な性格をあわせもち、「ピアノの詩人」とたたえられ、世界的に親しまれている」 (Yahoo!百科事典)

「ショパン」と言えば、ピアノの詩人、ジュルジュ・サンド(恋人)が即座に浮かぶ。

ショパンの忌日、10月17日は雨が降った。(きょう当地では秋晴れだったが)
雨の降る10月17日、ショパンの命日であることに気づいた作者の耳には、ピアノ曲「雨だれ」が鳴っていたことだろう。
「雨だれ」の旋律が聞こえたような気がしたのだ。

ショパンの作曲したピアノ曲の中でも特に、24の前奏曲、第15番 変ニ長調「雨だれ」はよく知られている。

作者はショパンと「雨だれ」の曲と雨の音を結びつけて、下句「ぱらぽろろろんしとしとろろん」という楽しい擬音語を創出した。
雨の音とピアノの音が共鳴しているような美しく楽しい音だ。

葛原妙子にも有名人の忌日を詠んだ歌がある。
 ・ドストエフスキーの忌日とあやふくかさならむわが誕生日街に思ひをり
 ・シューベルト死にたる霜月十九日水仙の茎鋭くぞ切る
 ・耳裏に青白きヒヤシンスの燄立ち 犀星忌三月二十六日
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レンチェン

2011/10/13 23:55
人体が葡萄のごとく透きとほりし刹那如何なりしウィルヘルム・レンチェンよ


葛原妙子 『葡萄木立』 (1963)

初めて掲出歌を読んだ時、「ウィルヘルム・レンチェン」が、X線を発見したレントゲンのことだと気づかなかった。

奇妙な歌だと思い、「ウィルヘルム・レンチェン」という人名が印象に残っただけであった。

「人体が葡萄のごとく透きとほりし」+「ウィルヘルム・レンチェン」、あっ、X線を発見したレントゲンのことかもしれない。
そう、「ウィルヘルム・レンチェン」とは、「ヴィルヘルム・コンラート・レントゲン」のこと。

Wilhelm Konrad Rontgen(1845―1923)
ドイツの物理学者。
1895年9月以降「不可視輻射線」を追究し、以下の過程を経てX線を発見したと推定される。
(中略)
X線の発見は、96年および97年のベックレルによる放射能の発見とJ・J・トムソンによる電子の発見の直接の契機にもなった。現代物理学の出発点をしるす科学史上最大の発見の一つといえよう。この業績によってレントゲンは、1901年の第1回ノーベル物理学賞を受賞した。(Yahoo!百科事典)

誰でも一度や二度、自分の体のX線写真を医師に見せられたことがあるだろう。
掲出歌は物理学者レントゲンが透過性の強いX線を発見した、その瞬間に思いを馳せている。
ユニークなのは、この作者特有の「刹那如何なりしウィルヘルム・レンチェンよ」など重々しい声調や、「葡萄のごとく」といった比喩である。
X線によって人体が透過されて見えた瞬間、どれほど驚き、感動したことだろう。
やっぱり、「レントゲン」よりも「レンチェン」の方が重々しく響く。

上句「人体が葡萄のごとく透きとほりし」の「葡萄のごとく」は、ちょっと違和感があるが美しい比喩だ。
このブドウは巨峰のような紫色のものではなく、マスカット・オブ・アレキサンドリア種のようなエメラルド色のものだろう。
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乳母車

2011/10/03 23:53
乳母車にみどりごは居ずみどりごを抜きたる跡のふつくら窪む

大西民子 『風の曼陀羅』 (1991)  

乳母車はたとえ空であっても、そこに乳児の気配を感じてなにかしら暖かく、なつかしい思いがする。

作者は誰も乗っていない乳母車の底のわずかに窪みに、はっきりとみどりごの姿を見た。
年譜(『大西民子歌集』短歌研究社, 1979)によれば、作者は23歳の時、男児を早死産している。
その後も子どもを得ることはなかった。

掲出歌からそのような辛い体験を思い浮かべる必要はないかもしれないが、ここには作者のみどりごへの憧憬が潜んでいると思う。
下句「みどりごを抜きたる跡のふつくら窪む」 --- 「抱きたる」ではなく、「抜きたる」が即物的で、その後に続く「ふつくら窪む」の暖かさと妙に合っている。

また、次の歌もある。
 ・教へ子の一人二人と子をなしてわれに見えざるもののまぶしさ  『花溢れゐき』 
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若い女性

2011/09/25 22:54
行きすがふをみなにてかぐの果(み)のごときにほひを曳けり秋闌(た)けにけり


                   上田三四二 『鎮守』 (1989)
             
作者には若い女性を詠んだ歌が多くあるが、掲出歌はその中の一首。

季節はちょうど今頃か。
彼岸も過ぎてしだいに深まってゆく秋、散歩の途中だろうか、若い女性とすれ違った。
この「をみな」は若い女性である。

「かぐの果」は「かくのみ」「かくのこのみ」と同じ意で、「(実に高い香りがあるところから)橘(たちばな)の実の異称」(日本国語大辞典)

若い女性の身体全体から醸し出される匂やかさ、華やかさを「かぐの果のごときにほひを曳けり」と表現している。
「かぐの果」という古語、「曳けり」「秋闌けにけり」と文語の助動詞「けり」の繰り返しが効果的に使われている。
作者はゆきずりの若い女性、その若い身体、その匂い立つような雰囲気に魅了される。
すれ違うほんの一瞬であろうが、幸福感に充たされる。

特定の人物というのではなく、若い女性の持つ性なるものへの憧れを作者は繰り返し詠んでいる。
若い女性の持つ匂やかさを嫌悪する男性などいないと思うが、作者はそれを晩年(といっても60代半ばであるが)に至るまで詠み続けた。

 他にゆきずりの女性を詠んだ歌を『鎮守』から挙げてみると、
  ・老の歩み越すとちかづく靴音の女の音のやさしするどし
  ・足曳きて行けば越さるるあらはなるをみなの肩としばらく並ぶ

いずれの歌も、病んで普通に歩けなくなった作者が後ろから若い女性に追い抜かれようとしている。
一首目は「女」とあるが、やはり若い女性であろう。
二首目は肌も露わな軽装の若い女性が作者を追い抜こうとして並んだ時のこと、女性なるものへの憧憬があり、心の弾みが感じられる。
もちろん、老いて足を曳きながら歩いている自分と、若さのまっただ中にいる女性を対比させてはいるのだが
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2011/09/20 23:19
杖つきて巷をゆけばあはれあはれ杖つく人をいくたりか見る

            上田三四二 『鎮守』 (1989)

すでに作者の歌は何度か紹介しているが、作者は1989年1月、66歳で亡くなった。
『鎮守』は第6歌集で、最後の歌集となった。

年齢を考えれば、60代前半では杖をついて歩くのはまだまだ早いと思われるが、作者は病を得て、療養の身であった。

杖をついて道を歩いていると、元気な時は気づかなかったが、杖をついて歩いている人の姿が自然と目にとまる。

ああ、杖をついている人がこんなにいたのか、今までちっとも気がつかなかった。
自分がその立場になってみて初めて知ったことだ。

人々の姿や道端の草花を眺めながら、杖をついてでも往還道を歩いているのは楽しい。
杖などいらない、以前の元気な身であればいいのに。

「あはれあはれ」と第三句が字余りになっており、畳みかけるように「あはれ」を重ねているが、自嘲的な悲しみというより、杖をついてでも歩くことを楽しんでいるように思える。

『鎮守』には、同じく杖をついて歩くことを詠んだ次の歌もある。

 ・歩みひさしきこの道ながら足病みて知る凹凸のあるいくところ

 ・かりそめとおもひしものをいつよりか手になじむ杖となりて街ゆく

 ・暦日のまた秋となりすすき野につゆの身はあり杖にすがりて


「暦日の」の一首は、杖をつくようになってしまった身の哀しみが静かに迫ってくるようだ。
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ミョウガ

2011/09/14 23:46
淡黄のめうがの花をひぐれ摘むねがはくは神の指にありたき 

 葛原妙子 『薔薇窓』 (1978)

裏庭にミョウガを植えている。
いつも気づかないうちに花が咲き終わってしまう。

花が咲いた後にできる実を食べる野菜とは反対に、ミョウガは花が開く前の花穂と若芽の茎を食べる。
もちろん、花が咲く前のミョウガを食べるために植えているのだが、気がついたら花が咲いてしまっているので、食用としての収穫は少ない。

掲出歌は、夕暮れのミョウガの花から神の指を連想している。

上句の「淡黄」「ひぐれ」と重ねて、ミョウガの花の淡くはかない感じを引き出し、下句「ねがはくは神の指にありたき」を付け加えることで、一気に幻想性を帯びてくる。

この神は日本ではなく、西洋のキリスト教的な神だろう。

夕暮れにミョウガの花を摘む、この私の指が神の指であればよいものを。

いや、そうではなくて、ミョウガの花自体が、神の指であってほしい?

うーむ、どういう意味だろう?


ミョウガは黄色味を帯びた、透き通ったような白色の花を根本近くにつける。
めだたないし、見るからにはかなげな感じがする。

食用にするのは花の咲く前の状態のものであり、花は切り花にするようなものではなし、何のために花を摘むのか?
ミョウガの花を摘んでどうする?

こんなふうに考えていると、一首の意味がますますわからなくなるが、そのわからなさを楽しみたくなるような、心に残る歌だ。
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2011/09/09 23:37
目つむりて電車にをりぬ聞こえくる声に齢(よはひ)あることもわびしく
              上田三四二 『照徑』 (1985)


私は電車に乗るのが好きだ。
もっとも、ひどいラッシュ時に乗るわけではないので、好きだと言っておれるのかもしれないが。

電車の中でいろんな人の様子を眺めたり、コトコト揺られながら目を閉じていたり、雑誌を読んだりするのは楽しい。

作者は電車の中で目を閉じている。
そうしておれば、いろんな年齢の人の声が聞こえてくる。

ああ、やっぱり声にも年齢が表れるんだな。
気がつかないうちに身体と同じように声も少しずつ歳をとっていくんだ。

私もそう思う。
会ったことのない人でも、電話で声を聞くだけでその人のおよその年齢がわかる。

単に明るい声か、張りがあるか、元気があるかないかということではなくて、声の色、風合いとでも言えばよいのか。
若者の声は老いた人の声とはやはり違う。

(自分の声が歳をとっていくのをはっきり自覚できないけれども)。

作者はこの一首の最後を「わびしく」と納めていることが、私はちょっと不満だ。

人間の生きて在ること、それ自体にすでに悲しみや苦しみが潜んでいるので、あえて「哀し」「わびし」「寂し」などの形容詞を使う必要がない場合が多い。
むしろ、これらの形容詞を効果的に使うことの方がむずかしいだろう。
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福引

2011/09/03 21:51
福引のガラポンを回す 赤玉に願いをかけて一秒間の淡い夢  

土橋妙子 『カンナよ またの夏に』 (2011)

前回と同じ歌集から。

福引やくじびきは当たることはまずないと思っていても、もしかしたら、もしかしたら赤玉が出て何か当たるかも?と一瞬、思う。毎回、思う。

掲出歌は誰もが思うだろう、福引をする時の気持ちを巧く表現している。

自宅の近くにある店では、夏と冬に福引が行われる。
掲出歌と同じ「ガラポン」で、わたしたちは「ガラガラ」と呼んでいる、くるくる回す抽選器を使って行われる。
購入金額によって福引の回数が決まるので、あともう少し買っておこうかなとよけいな物を買ったりする。

そして、ほんの一瞬、淡い期待を抱いてガラガラを回す。
そばに積んである「当たり」の商品、ペットボトルやインスタントラーメンや砂糖やお米の袋を横目にちらっと見ながら、ゆっくりとガラガラを回す。

もう、何回、回しただろうか?
たった2回ほどペットボトルのお茶が当たったことがあったけれど、いつも白玉が転がり落ちて「はずれ」。
「はずれ」の方が圧倒的に多いのだから、「はずれ」の結果になってもなんの不思議もない。

そうとわかっていても、もしかしたら赤玉が出てくるかもしれないという期待をほんの一瞬持つこと自体が、福引をする楽しみなのだろう。
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2011/08/30 22:09
姉に会うと母のことばかり語り合う 二人は親の逝った年を越えた
            

               土橋妙子 『カンナよ またの夏に』 (2011)


作者は、前回の歌の作者である光本恵子氏が主宰する「未来山脈」の会員である。

歌集 『カンナよ またの夏に』の序文を光本恵子氏が書いている。
その序文によると、作者は結婚して娘を出産した頃に、母親を50代で失ったという。

作者は70代半ばとなり、母の享年をとうに過ぎている。
姉に会えば、話すのは亡き母のことばかり。
姉も自分も母の死んだ年齢を越えて、老いてしまった。

親の死んだ年齢を越えることは、ひとつの節目というか、新たな起点ともなるように思う。

私の母は49歳で死去した。私が25歳の時だった。
自分が49歳になった時、母の享年を越えることを強く意識した。

一人っ子の私には母が亡くなった後、母の思い出を語り合う兄弟や姉妹が誰もいないのが寂しい。
母は父にとっては妻であるから、父と話していても、兄弟姉妹同士で母親のことを語り合うのとはわけが違う。

老境に入った姉と妹が、自分たちよりずっと若くして亡くなった母親のことを語り合っている。
兄弟姉妹は老いてからよりいっそう絆が深まるのかもしれない。

掲出歌のような口語自由律の歌は一見、いとも簡単に作れそうな気がする。
ふっと口をついて出てきた言葉をそのまま並べただけのような・・・
日記かわりに日々の生活をこんなふうに記しておこうか、などと思う。

けれども実際に作ろうとすると、そう簡単なことではない。
読んでみて簡単に作れそうだと思うのと、実際に言葉を組み立てるのとはまったく異なる。
当然のことながら、自分と向き合い、集中するエネルギーが要る。
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義母

2011/08/25 23:40
手を握るタイさん握り返すそのこぶしの力は嫁への信頼

         光本恵子 『蝶になった母』 (2011)

前回と同じ歌集から、義母を詠んだ歌を見てみよう。

作者は遠く離れた郷里に暮らす実母を案じ、婚家先では夫の母を看なければならない。
「タイさん」は、義母の名前(らしい)。
老いた親を介護する日々の暮らしは神経がすり減り、鬱々とした気分になりがちだ。

作者は自分の手を握り返す義母の手の力を、自分への信頼の証だと思った。
そう思いたいという作者の願いがこめられているだろう。
そう思わなければ、介護する自分自身が壊れてしまうかもしれない。

掲出歌の他にも義母との日常を次のように詠んでいる。
   ・お迎えがこないと泣く義母「だいじょうぶよ」両手で包みこむ
   ・ベッドに横たわる義母が怒ると哀しく笑うと嬉しい葛藤の日々
介護する相手が嬉しそうにしていると、こちらも自然と嬉しくなる。

私の父も時折、「こうやって毎日、生きているのに飽きてしもうた。早くお迎えがきてほしい」と言う。
私は「だいじょうぶよ」と言わずに、自分の親だから「ほんまにそうやなあ。長く生きるのもたいへんやなあ」と相槌をうってしまう。親不孝な娘だ。

   ・老いの恨み言聞くも嫁の器量か 寂しさにうなずき盆おわる
   ・相手は老人 すべて許して引き受けだみごえも黙って聞く忍耐
   ・罵声を浴びるもなだめるも嫁のつとめ 辛い体で立ちあがる
   ・義母も夫もわが意を主張 黙って頷くたび肋骨はうなる
   ・大声で述べる人ばかり 家族の潤滑油と決め義母を看る
   ・義母(はは)の足さすり背中を撫でて戻る部屋に月の光まっすぐに射る
「辛い体で立ちあがる」、「黙って頷くたび肋骨はうなる」など、辛い思いを吐露した歌もある。
これらは前回で見た実母を詠んだ歌とはやはり異なっている。
介護の辛さといっても、実母とは共に暮らしていないことも大きいが、義母との関係は当然ながら嫁と姑の葛藤があるだろう。
この歌集を読み終えて、短歌の持つ記録性にもっと目を向けたいと思った。

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2011/08/21 22:18
これが最後かも知れぬ 母の足はよたよたと娘についてくる

       光本恵子 『蝶になった母』 (2011)

歌集『蝶になった母』は、2002年から2007年までの作品を時系列に纏めている。
この期間、作者は老いて弱っていく義母、実父母を見守り、介護し、その死を見送った日々でもあった。

作者は学生時代に宮崎信義氏に出会い、口語自由律短歌を作り始めた。

私は以前にも書いたように、口語自由律短歌を読むことにちょっと抵抗がある。
短歌であって、短歌でないように思えて、口ずさむには文語定型の方が自分の心に添う感じがする。

けれども、多くの作品の集まり、大きな塊として目の前に提示されると、口語自由律は巨大な力をもって迫ってくる。
この歌集もそうだった。

そこには普段使い慣れたことばが躍動し、短歌という形式の区別など、もうどうでもいいような気がしてくる。
日々の記録としての短歌の力も思われる。


掲出歌は、もう普通に歩くことができなくなった晩年の実母を詠んでいる。

あれほどしっかりしていた母が、今はよたよたと自分の後についてくるのがやっとのこと。
ほんとうに老いてしまったなぁ。
もう、「これが最後かも知れぬ」と思い、哀しみがこみあげてくる。
実家を遠く離れて信州に嫁いだ作者は、母とめったに会えないだけに哀しみも深いだろう。

89歳の私の父も、80歳になるまではなんとか普通に歩くことができたが、数年前からよちよちとかろうじて前に進んでいる、といった状態になってしまった。

50代、60代になると、ほとんどの人が親の老いと介護に直面し、自らの老いを想像し、確実に老いて、衰えていく身体を思いしらされる。
普通に歩けることがどんなにありがたいことかと今さらに思うのだ。


実母を詠んだ歌が多くある。

   ・忙しくて眠れなかったぶん眠りつづける母 薔薇の園を蝶になって

   ・すこしでも母の近くにいたい この世のわかれが近いらしい

   ・あなたの愛に育まれてここまできました 母よ母よ力なくわらわないで

   ・誇り高く口数少ない母が半身不随でさらに黙ったまま生きつづけるとは

   ・いつ眠っていたのだろう厨房に立ち尽くすとよ子さんをみて育つ

   ・真夜中花々は唄い踊る指揮するとよ子は料亭の女将

   ・みな寝静まったころ座敷の花を活ける母ひとり

   ・父を励まし四人の子の小さな才能を引き出しつづけた母とよ子

   ・子を束縛しない支配しない 遠くで見守るとよ子さんの強さ

   ・セーター編みシミーズもズロースも手作り 夜中にミシンを踏む母


割烹料亭の女将として最期まで働き続けた母を哀惜をこめて詠んでいる。

  
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隠れ水

2011/08/13 21:35
八月のゆふやみ永し梨の実にしんしんと金の隠れ水湧く

                    小島ゆかり 『憂春』 (2005)

お盆の頃になると桃に加えて、葡萄や梨が店頭に並び始める。
それらの色といい、形といい、味といい、自然の妙に感嘆する。

お盆を過ぎると、暑い日が続いているけれど、ああ夏が過ぎてしまう、もう一年が終ってしまうような寂しい気持ちになる。

八月の夕方、マーケットで売られている梨、あるいは食卓の上に置いてある梨を見て、この一首が成ったか。

八月は、夏至から1か月半〜2カ月近く経っているので、当然、日の入りは早くなっているけれど、まだ7時頃まで明るい。
だから「八月のゆふやみ永し」も実感としてわかる。

この歌のユニークな点は梨の実に金色の隠れ水を見つけたことだろう。

「隠れ水」は「物のかげになって表面からは見えない水。こもりず」 (日本国語大辞典)

黄土色の幸水、透明感のある二十世紀梨、いずれも金色の玉といってもよいような果物である。

「金の隠れ水」、さらに「しんしんと」という擬音語が梨のみずみずしさを強めている。

梨の出回る季節になると、決まって思いだす一首である。
 

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夏の雲

2011/08/08 23:10
また少し白髪ふえて仰ぐ空 結跏趺坐(けつかふざ)する夏の雲見ゆ

                 小島ゆかり 『憂春』 (2005)

ことばの自在さと深さ、歌集『憂春』を何度読んでも飽きない。

暦の上ではきょうは立秋だが、30度を越える暑い日が続いている。

焼けつくような炎天の下、見上げれば青い空に白雲がゆったりと流れている。

結跏趺坐とは、
「坐禅(ざぜん)法の一つで、両脚を組んですわる方法。跏は足を組み合わせる意、趺は足の甲。両脚を組み、左右の足の甲を反対側のももの上にのせて安坐する。全跏(ぜんか)、本跏坐(ほんかざ)ともいう」。(Yahoo!百科事典)

夏雲と結跏趺坐を結びつけた比喩の強引さ、意外性に驚くと共に、そういえばかーんと晴れた炎天に広がる雲って大男が両足を組んで瞑想しているようにも見えるよなぁ。

上句「また少し白髪ふえて仰ぐ空」では、 少しずつ白髪が増えて老いていく、若くはない自分の姿を具体的に描写し、下句ではその目が捉えた雄大な夏雲を「結跏趺坐する」と擬人化した。

具体性と象徴性がみごとに組み合わされた一首だ。
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原子力立地給付金

2011/08/03 23:15
いやおうもなし通帳に「原子力立地給付金」振り込まれくる


田宮朋子 『雛の時間』 (1999)

佐賀県玄海町のホームページには、電源立地地域対策交付金(旧原子力立地給付金)の概要として、次のように記載されている。

「この制度は、原子力発電施設等の立地する市町及びその隣接市町等に居住する住民や企業に対して、当該原子力発電所の施設能力に応じて算出された金額を年1回、口座へ振り込むことによって交付するものです」。

その下には、電力会社との間で電気の受給契約がある需要家が対象で、申請は不要とある。

現在では「原子力立地給付金」ではなく、「電源立地地域対策交付金」という名前になり、「原子力」ということばが消えている。


作者は原子力発電所がある地域に住んでいるらしい。
原子力発電所が建設されたために、決められた地域に決められた額のお金が振り込まれる。

原発の存在を容認していようが、反対であろうが、一律に規定のお金が振り込まれることになっている。

直接手渡されるお金であれば、その度にこのお金は「原子力立地給付金」なんだ、私たちは原発の近くで暮らしているんだと思うだろう。
原発関係の仕事に従事しておれば別だが、そうでなければ知らぬ間に(といっても毎年10月1日に決まっているようだ)振り込まれているので、、普段は原発のことを忘れておれるかもしれない。

掲出歌は東日本大震災よりも10年以上前に作られているが、「通帳」「原子力立地給付金」ということばが生々しく迫ってくる。

「いやおうもなし」も「原子力立地給付金」も句跨りになっており、まさに「「いやおうもなし」に振り込まれてくる「原子力立地給付金」の通帳記録を見るたびに、原発の存在を眼前に突きつけられているような気がするのだ。

そして、原発に対する不安と懐柔されているような不快感に襲われるのだろう。


作者には次のような一首もある。

   ・烈震に揺さぶられたる原子炉の奥に冥王(プルトー)目覚めざりしか 
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ワレリー・ホデムチュク

2011/07/21 23:32
夕雲は蛇行しており原子炉技師ワレリー・ホデムチュク遺体無       

   吉川宏志 『夜光』 (2000)

この一首を知ったのはずっと以前のことだが、「原子炉技師」と「ワレリー・ホデムチュク」という人名が強く印象に残っていた。

福島の原発事故があってから、この歌を思い出した。

「ワレリー・ホデムチュク」とはどういう人物なのか、インターネットで検索してみると、彼の名は『チェルノブイリの祈り−未来の物語−』(スベトラーナ・アレクシエービッチ著, 松本妙子訳, 岩波書店, 1998)に載っていることがわかった。

近くの図書館に『チェルノブイリの祈り−未来の物語−』があったので読んでみた。

「ワレリー・ホデムチュク」は、被曝して苦しみながら死んでいった人たちの妻へのインタビューの中に登場する。
この女性の夫は消防士で、原発事故で呼びだされて出動していった。

「七時。七時に夫が病院にいると教えられました。私は病院へ走りましたが、病院のまわりはすでに警官に囲まれていてだれも通してくれない。救急車だけが入っていく。警官がどなっていた。「車は計器がふりきれるほど汚染されてるから近寄らないでくれ」。私だけではありません。その夜、自分の夫が発電所にいた妻たち全員がかけつけていました。(中略) 夫に会いました。全身がむくみ、腫れあがっていた。目はほとんどなかった。(中略) 一○時、[原発]運転員のシシェノークが死亡。最初の死者でした。一日目に。私たちは二人目のワレーラ・ホデムチュークが瓦礫のしたにとり残されていることを知っていました。彼は、ついにつれだされることなく、コンクリートで固められてしまった。でも、私たちは、夫たち全員が最初の死者になるなんてまだ知らなかったのです」。

ワレリー・ホデムチュクは、1986年4月26日、チェルノブイリ原子力発電所事故当時、4号炉内におり、そのまま石棺の中に閉じ込められてしまったという。

崩壊した原子炉と建屋をコンクリートで覆う「石棺」が造られたが、石棺が老朽化するとまた新たにそれらを覆う石棺を造り続けなくてはならないこと。これから先もずっと。

彼はその石棺の中に閉じ込められてしまったので遺体がないのだ。

福島県での原発事故が起きた今となっては、掲出歌が重く響く。

作者は、チェルノブイリの原発事故と、そこで原子炉技師として働いており、被曝し、そのまま石棺の中に閉じ込められてしまった人の存在に強い衝撃を受けた。
その人の名は「ワレリー・ホデムチュク」、彼の名を詠み込んだ歌をどうしても作りたいと思ったのだろう。

「ワレリー・ホデムチュク」という個人名に注目したところに、いつも獲物を狙っている狩人の目というか、作者の鋭い感性が表れている。

日本人にとってはほとんどなじみのない人名「ワレリー・ホデムチュク」は、その前につけられた「原子炉技師」という職名と、結句の「遺体無し」によって読者を不気味な世界へ誘い込む。

その不気味さ・不安感は、上句「夕雲は蛇行しており」とも照応している。
「蛇行しており」によって、夕雲も不気味な美しさを帯びてくる。

一首の中に「ワレリー・ホデムチュク」という人名を詠み込んだことで、この一首は強い力を放っている。

「ワレリー・ホデムチュク」 --- 日本語を母語とする私たちが口ずさめば、外国人名の音はとても興味深い。
この人名だけを音に出して言えば、なんとも愉快な響きの名前ではないか。
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