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駅売りの牛乳(ちち)買はずしてかたはらの水に口づけば心がなしも 田谷 鋭 『乳鏡』 歌集の目次を見ると、掲出歌が作られたのは昭和28年から29年にかけての時期であることがわかる。 牛乳が現在よりもずっと滋養のある食べ物としての位置を占めていた頃である。 喉が渇いたが、駅の売店で売っている牛乳を買わずに、水飲み場で水を飲んですませた。 もちろん、少しでもお金を使わないでおこうという、節約のためである。 作者は牛乳一本すら節約しようとする自分の行為を、そんな暮らしを「心がなしも」と直截に表現している。 「水に口づけば」から、コップや掌に受けて飲むのではなく、水道の蛇口に口を近づけて直接飲んでいることが窺える。 若者がスポーツをした後、蛇口に口を付けて水を飲む姿には若さと活力が溢れているが、青年期を過ぎようと している勤め人の場合はわびしさが漂うようだ。 牛乳に「ちち」とルビをうっているが、これは単に音数のためだけでなく、「ちち」という呼び名が普通に使われていたのだろう。 そしてまた、「ちち」と読ませていることも、一首に漂うわびしさを増幅させているように思われる。 |
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